なんでもないよーなことがー


今日は秋葉原QMA大会に参加してきました。
強力メンツの中決勝まで行けたのですが、フルボッコにされました・・・
社マルとか手加減しなすぎ(;;)


:ここからQMA思い出話


高橋ジョージが歌うように「ちょうど1年前」ではなく2年前のことなのですが、初めて店舗大会で1回戦突破できたのも12月2週の秋葉原だったなー、と思ってちょっと感慨深いものがありました。


ここで一言言っておくとよく「QMA3からはじめたんでしょ?」と聞かれるので同名の方がQMA3時代にいたのかもしれませんが、僕がQMAを始めたのは4からです。
知ってる方もいるかと思いますが、QMAを始めた頃は「ゴリラまつい」という非常に頭の悪い名前でした。CNの由来は自分では「地獄甲子園」に一瞬だけでてくるキャラのつもりだったんですが、よく調べたら「松井ゴリラ」だったりしましたw


始めたばかりの頃は芸能とスポーツが好き、というか自分にはその2つが合ってたみたいなのでそればっかり使ってたんですが、とにかくアニゲが駄目で店舗大会に出ても1回戦突破が出来ない状態で酷い時には芸能で単独正解を2回取ってもアニタイで0点取ってボロ負けということもありました。
「これではいかん」ということでとりあえず店舗大会1回戦を通過するために3ヶ月間は大会に出ずに「武器」と「防具」を作ることにしました。


最初に選んだ武器は芸キュだったのですが、選んだ理由はフェニ組で「シャカラビッツ」を単独正解できて「これが単独正解なんて芸キュうめぇ!」と思ったからです。いざ回してみると海外の問題が多くてそんなに甘くなかったんですが・・・
そこから芸タイ、芸四字と色々試してみて、一番強く感じた芸四字をメイン武器にすることにして、アニゲは一番良く投げられたタイピングだけ回し続けてアニゲでもタイピングだけは出されても平気な形にしました。


「3ヶ月大会に出ないとかそんななことしなくても不死鳥杯出ればよかったじゃん」という人もいると思うんですが、当時はその存在を知らず「不死鳥杯」なるものの存在を知ったのはQMA5になってからでした(^^;)


カードを無くして今のCNにしたり(その時は後で見つかったんですが)というアクシデントもありましたが、紆余曲折の末に2007年12月の秋葉原大会に参加して、芸四字、芸キュと武器が2セット出てくれたおかげで1回戦突破できた時には「自分のやってたことは無駄じゃなかった」みたいな感じで凄く嬉しかったのを良く覚えています。
それだけでも良かったんですが、翡翠賢者×4という今考えるとレアな組み合わせにも恵まれたおかげでその時は「決勝戦にまで進める」という喜びを味合うことも出来ました。
その時の決勝ではアニ多答、アニ四字でフルボッコにされましたが、そのお陰でタイピング以外のアニゲも何とかしようって考えられるようになったのであれはあれで良い経験だったなー、と自分では思っています。


今日もあの時と同じで決勝ではフルボッコでしたが、「2年前は1回戦も突破できなかったのにねー」って考えると1回戦突破できるだけでも頑張ったよね、そうだよねと前向きに考えましょう。